Private*Chacra チャクラやメデイテーションを意識したきっかけ
こんにちは♡
スリランカ政府認定アーユルヴェーダインストラクターの花咲 美幸です。
チャクラやメデイテーションの講座を開催させていただいておりますが
美幸先生はどうしてこの分野に興味をもたれたのですか?
と
生徒さんからのLINEに・・・
もうほとんど今となっては日常となってしまっていることでも
そういえば
きっかけは何だったんだろう。。。
と
記憶を過去までたどっていきたどりついたのが・・・
小学生の時に入院をしていた時の担当医
「河野先生」からの教えだったことを思いだしました。
当時のわたしはこのドクターが「カエル」に似ているから
「カエル先生」
と呼んでいました。
「カエル先生」はいわゆるイケメンとかではないけれど
とにかく優しくてわたしにとってはお兄さんみたいな存在でした。
「神秘的で美しい子だね 君は・・・」
「君があともし10才おとなだったら奥さんにしたい」
が
かえる先生のいつものご挨拶。
言葉を発することができなくなっていたわたしに
「意識を変えると現実が変わる」
「自分を信じて」
と教えてくれました。
今思うとあれも治療の一環だったのかな・・・
それか
ロリコン
。
。
。
だな。きっと。
おやつの時間
15:00のおやつの後に
いつも
病室まで来てくれて
教えてくれていました。
父からいつも
ブサイク
世界一のブサイクが生まれたでていけ
と毎日言われていたわたしには
「この先生・・・きっと目が悪いんだろうな・・・」
と本気で思っていました。
以前
HP内にてわたしの数年間の生死をさまようレベルの闘病のことを
書かせていただいておりますが・・・
その中で空白にしてありました
「わたしの育った環境」
について
はまた追って追記しようと書いていませんでしたが
オープンにしようと思います♡
父は自営業
昭和初期の人
さらにはコテコテの九州男児ですから
その勢いたるや半端なく色々な意味で強い人でした。
母は10代でわたしを産み
社会にでてバリバリ働くというわけでもなく
わたしがまだ小さい頃は父のお金で暮らしていました。
手に職をつけて自立した女性になろう
と意識したのは
わたしは
実は3才のとき。
理由はたったひとつ。
父の酒乱・DV・浮気etc・・・
がとどまることなく
お金は大金を稼ぐ人ではありましたけれど
家庭内はいつも
暴力
母だけでなく
わたしや弟にまでもでした。
窓ガラスがわれている
なんて日常で
それはもう大変でした。
暮らしているだけでサバイバル。
今でもひとりのほうが楽でいい
と思ってしまうのは
ちいさい頃から20さいで家を出るまでの間
安心と平和であるはずのお家が
その真逆な環境であったからかもしれません。
わたしがちょうど10さいくらいのとき
「国民的美少女コンテスト」
とやらにスカウトされた頃も
芸能界は絶対にダメ!
と反対され・・・
同期はおとなりの中学校に通っていた
後藤 久美子さん
ですから
そもそも
コンテスト出場したとしても
落ちていたとは思いますが・・・笑
元々
さほど芸能にも興味がなかったわたしは
おとなしく
殴られないように
父の機嫌が悪くならないように
ただひたすら
お勉強はいつも完璧
みたいに
「おこられないように」
と
もうちいさいながらも
ある意味「自己防衛策」で
ちいさい頃のわたしの写真はすべて
「無表情」
笑っている写真は
3さいくらいのときの1まいだけ。
そんな子供でした。
さらには
「ブサイクは出て行け食事がまずくなるから俺の前にすわるな」
「世界一のブサイクが生まれた」
と何万回も父から言われ続けていたので
どうしたらかわいくなれるのか
どうしたらキレイになれるのか
みたいなことを
健気ですね
子供ですから
普通にそんなことを
研究してみたりしていました
もちろん
父からは
褒められるということは
今でも
1度もありません。。。が
母が横暴な父から逃げずに毎日泣いて
毎日つらそうでも
どうして離婚しないの?
逃げようよ
と言っても
かえってくる言葉は
「お父さんはお金をたくさん稼ぐから我慢しなさい」
「お母さんはお金がないの。だからお父さんの言うことをききなさい。がまんしなさい。」
いつも決ってこのふたつ。
バービー人形みたいにキレイだった母も
暴力・浮気な毎日でどんどん姿がかわっていき
わたしは
ちいさい頃に
決めてしまったのです。
「お金があれば自由にくらせるんだよね。」
「お金があれば暴力がまんしなくていいんだよね。」
「わたしはお金を稼ぐ人になって将来、自分に子供ができたとして、もし
暴力で苦しめられたりしたら、瞬時に子供と逃げて自分で子供を守る」
と。
でも
まだ当時10才にも満たない子供でしたから
働くとかもできなくて
そういう意味では
芸能界からのスカウトはわたしにとっては好都合でした。
そんな中
わたしは
暴力な毎日で
泣き叫ぶことにも疲れ
ある日
「失語症」という
言葉・声がでなくなってしまう
という症状で学校に行けなくなってしまい
長期入院をしていた病院での担当医から
メデイテーション(瞑想)
を教えてもたったのが
さいしょです。
今思うと
「かえる先生」
どうもありがとう。ですし
まだ生きているのならお会いしてお礼を伝えたいですね。
10才ながらにして
心理学を病院でお勉強しはじめて
どうして大人はこんなふうになってしまうんだろう
と両親を見てまずは両親を穏やかにさせたくて
心理学を勉強しはじめました。
学校に心理学の授業がなかったので
心理学を専攻していた大学生な先生にたまに会ったりしている
そんな小学生でした。
10才当時のわたしは
「自分さえしっかりしていたらきっとだいじょうぶ」
と心に決めて
20才で家を出るまでは
ひたすら黙って
ひたすら
その時がくるのを待っていた
そんな子でした。
大人になってから
チャクラやメデイテーションはもちろんのこと
エネルギーワークなどは
色々な意味で
人間の根源といいますか
人は感情の生き物
感情はエネルギー
感情をサットウヴァ(至福の極地)へと
自分でコントロールすることさえできれば
あとのことは
たいていなんとかなるのでは。。。
みたいな漠然としたイメージが
わたしにはいつもあったので
まわりからすると
バブル期でまわりがチャラチャラと浮かれていても
とりあえずは一緒に混ざってはいるけれど
心の中ではいつもひとり
みたいなそんな感覚の中で今まで過ごしてきています。
ということで
生かされていると色々なことが起こりますし
思いがけずなアクシデントも起こってしまいますけれど
わたしがいつも望んでいるのは
内なる平和
外なる調和
だたこの2つだけです♡
今となっては
この世に産み出してくれたというだけ
ただそのことに対してだけを
両親には感謝しています。
魂だけ
肉体がなければ
何事も体験できないですから・・・
ということで
小さい時の担当医から教えていただいたのが
一番最初のきっかけでした。
あとは
大人になってから
アーユルヴェーダはもちろん
心のこと
身体のこと
大宇宙のこと
小宇宙のこと
etc・・・
色々
学んでいくうちに
自然界の構成(宇宙の構成)と人体はすべて連動している
ということが
明確につながってしまった
という
あたりから
自然界に調和したライフスタイル
がベースになってきています。
人はエネルギー体ですので
高めることも弱めることも
自分次第
環境次第
思考次第
だったりしますね。
これからも日々精進してまいります♡
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